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昭和51年(1976年)昇級審査

2019.4.10水曜日

春季昇級審査も全て無事終わりました。

審査の内容は筆記試験に始まり、定置での基本動作、柔軟性、腕立て伏せ、逆立ち等の力量、移動しながらの基本動作、型、組手となります。

前にも記しましたが、出席日数40%、心量、技量、力量、組手が各15%の100点制です。

この内容は大山総裁存命中から続くもので、私の道場にも受け継がれています。

私も白帯からこの内容で昇級、昇段して行きました。

私が初めて極真会館総本部で審査を受けたのが43年前。

ワールド空手の前身のパワー空手、そのまた前身の現代カラテマガジンに私の初審査の模様を見つけました。

昭和51年(1976年)3月号

審査日昭和51年2月22日 私は右から二番目のカメラ目線の白帯の子供。

審査には大山総裁。(当時は館長、記事も大山館長となっています。)

作家の真樹日左夫先生。空手バカ一代、巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスク等の原作で有名な梶原一騎先生の実弟です。

指導員は空手バカ一代で有名な妖刀村正の大石代悟師範。

もう一枚。一番右です。

43年も前ですので記憶に残っている事も少ないですが、審査は今とほぼ同じ内容だったと思います。

少年部は普段、地下道場で稽古していたので、二階の道場へ上がるのはこの時が初めて。

広くて太鼓がある!と思ったような気がします。

他の記憶では審査の開始を告げる太鼓がなる度に、大きな音に驚きビクッとなり、筆記試験の道場訓を板張りの床の上で書いたり、初めての組手が痛かったりと断片的な記憶です。

これも初審査なのか二回目、三回目の審査なのか曖昧ですが…。

審査の薄っすらとした記憶の中で、大山総裁だけはハッキリと覚えています。

サングラスを掛けた大きな人。

私は極真に先んじて5才で剛柔流、7才から躰道を学んでいましたので当時アニメで放映していた空手バカ一代を食い入る様に観ていました。

空手バカ一代の放映が終わり、一年程経った昭和50年7月5日極真に入門しますが、空手バカ一代の主人公の飛鳥拳と審査のたびにいるサングラスを掛けた大きな人が、同一人物だとは知りませんでした。

父に教えられ飛鳥拳が大山館長と同一人物だと知ったのは二回目か三回目の審査だったと思います。

それは子供ながらに衝撃的な事実でした。

それからは審査の度に、憧れの眼差しでチラチラと盗み見る様に、飛鳥拳である大山館長を見ていました。

大山館長=飛鳥拳と知った頃の二回目の昇級審査。審査日昭和51年10月3日

現代カラテマガジン昭和51年10月号                              青帯を締めての審査です。 審査の指導員は後に第九回全日本チャンピオンになられ、大道塾を創始される東孝塾長です。

あの最強の飛鳥拳が目の前にいる。

大山総裁への憧れ、極真への誇りが少年ながら芽生えた瞬間です。

この大きな大山総裁の下で1975年7月5日から、亡くなられる1994年4月26日まで、約19年間、紆余曲折ありましたが弟子として稽古をすることができました。

大山総裁の指導される本部道場で稽古する。

そしてキラ星のごとく輝く先輩方も。

今思えばなんと贅沢な時間を過ごしていたのだろうと思います。

こうした極真に対する想いが今日まで稽古を続ける原動力となっています。

時が経ち大山総裁が亡くなられ、二代目を継がれた松井館長のもとで極真空手を指導する立場になりました。

道場には私と同じように極真に憧れを持ち、熱く稽古に打ち込む人が沢山います。

指導しながら道場生に思うのは、この気持ちをいつまでも持ち続け、稽古を通して大山総裁が創始し、松井館長が継承した極真の教えを、実生活、生き方に活かして貰いたいと言う事です。

道場生の期待に応え、私の教える極真空手がいつまでも歩み続けられる道であるように、私もこれまで以上に稽古を重ね、自身の空手を深化させて行かねばなりません。

多くの道場生と共に極真の道を歩き続ける。

こんなにも素晴らしいことはありません。

押忍。

✏️師範杉村。

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